どもども、クマです。最近はコミュニティーも少しずつ活発になってきていて嬉しい限りです。元々テキストチャットはそれなりに稼働していて、しかし当面は時間が合わないだろうからとVCは諦めていました。はたまたどうも努力すれば意外と人が集まる環境ではあったらしく最近は鯖内でも少しずつ変化が見られます。さてブログ記事の内容は全くコミュニティー内の事情とは関係ありません (え?)。前回の続きみたいなものでしょうか。少し書き足しておこうと思っていたものを書き切っちゃおうと思いまして。折角なら思いついたものは全部出しておこうと。今日の話題も前週に続き少しややこしい話ではあります。
気が向く人のみで結構です。皆様は評価経済社会と言う概念はご存じでしょうか。この概念そのものについて語ると時間がかかりすぎてしまうので、詳しくは本を探すなりこれについて語ってる人の動画を見るなりして貰うとして。簡単に言えば情報化が進んだ先ではより重い比重で「周囲の対自評価が世を渡る指標となっていく」社会となります。もし Netflix に入ってる方であれば Black Mirror と言うシリーズの Nosedive と言うドラマを是非見て貰えれば近似した社会を映像で見ることができます。是非お試しください。さて、この高度情報化社会において、僕らは様々な社会的ステータス、お金や職業、家族状況やその他の要因に加えてとうとう社会的評価も見られるようになりました。
分かりやすい例で言えば犯罪者に対する「犯罪者は死刑か二度と刑務所から出てこなくていい」と言った拒絶的な一方的評価付けから「悪いことをした人は皆でリンチにしてフルボッコにしていい」と言う誰が定めたのだか訳の分からない概念まで、色々あります。プラスの面で言えば学級委員を選ぶ時に「あの人は確実にその能力があるからあの人にしよう」では無く「あの人は良い人だと評判だからあの人にすればそれなりに上手くいくだろう」で選ぶ社会。僕らはこの様な社会を生き抜いていかなくてはいけないと同時にこの社会の中での自分の在り方を決めて行かなくてはいけません。
先に述べた Nosedive の世界観ですらドラマでありながらもう既に現在存在する社会なのです。常に僕らは監視され、常に評価を受け続け、それを望まなくとも人がそれを嫌だと受け取れば晒されてしまう可能性を常に孕んだ、僕の主観で言ってしまえば吐き気を催す邪気の孕んだ世界です。即時的評価が大事な時もありました、それは普段声を上げられない様な時、隠蔽されて他の誰も気づけなかった事態を日の本に晒すことが出来るようになって「クリーン化/ホワイト化」された側面もあります。加速する社会の評価経済化の中で、非ホワイトな人が完全淘汰されてしまう前段階としての現社会において、僕らはどう生きるべきでしょう。
ある人はこの社会における最善策は「良い人戦略」だと言いました。自らの内にある闇を一切表面化させず、ただひたすら表っ面ばかり良い人に成れと。周りから評価され続ける環境において、初めは外面だけでも後にそれが内面化していくであろう「良い人に成り切る」事は自らの評価を維持し続け、その恩恵を受けるために重要であるという事です。評価の高い人でなければ受けられない恩恵、それは人間関係かもしれないし金銭的ベネフィットかもしれない。機会や可能性を享受できるチケットかもしれない。しかしこれを受けるには外面、あわよくば内面までもクリーンな人にならないといけないのです。
僕はそこまで思慮深い訳じゃなくアンチテーゼを掲げる訳にも行かないので、また自らの人間性を振り返った時に良い人戦略を実行できる程出来た人間ではない点を踏まえ、この戦略はいずれ自己乖離を起こすだけだと思い、また別の道を探らねばならなくなりました。そんな僕としては「愚直に生きること」かなと思いました。「自らに正直に」生きるとはまた違います。正直に生きて自らの非クリーンさを指摘されたらそれに反発して攻撃性を示し、僻んで落ちていくのを選択肢として取らず、真面目に生きる事だな、と思いました。非常に身近な例を取れば、欠席届とかどうでしょう。
自らの出席評価を綺麗に保つために嘘をついて具合が悪かったんだ、寝込んでいたんだ、と嘘をつくこともできれば諦めて「寝坊しました、夜更かしして夜友達と楽しく喋ってたら寝る時間が足りなかったんです」と書いてしまえば評価は下がっても嘘をついた後ろめたさや後から事実確認などで追及される可能性からも解放されます。先生に質問するときも着飾った言い方をせず、思ったことをそのままぶつけてみる。他にもいろいろ例はありますが、愚直に生きる事で何か意見を求められた時も、足がふらついている時よりもしっかりと視点を置けた意見が出せます。愚と言う文字が入っている通り、自らの愚かさを知り、常に反省と向き合いながら真っ直ぐ生きれば少なくとも内外の乖離が消え、ある意味で見た通りの人間と言う意味で信頼の高い人になれるのではないだろうかと。
ホワイト化が進み、人に意見を求めてもプラスの意見しか帰ってこなくなる、相手を不快にさせない様に努力するがあまり嘘に近似したものしか出てこなくなる社会において、多少のハンデを食らってでも実は愚直に生きる事がより安寧をもたらすのでは無いでしょうか。あの人は偶に言葉が選べなくてギョッとする言い方をすることもあるけど、でも嘘はつかない、正直な意見が聞けると思って貰える、でも同時に努力してフォローもして、意図して相手を傷つける事無く、悪意を持たず生きる「愚直さ」が必要になるのではないでしょうか。自らの能力と性格を顧みた時、僕はこの結論になりました。
表面化して謳うことのない内面的な「信頼」を抱え続ける事がより大事になっていくのではないだろうか、と思いました。きみたちはどう生きるか、と言う映画が放映されたことがありましたが、少し時間があるときにでも考えてみるのも面白いかも知れません。では今日はこの辺で。May Your Life Be Blessed.
~~クマ~~