久方ぶりです、クマです。遅ればせながら新年のご挨拶申し上げます。2026年一発目のブログ記事とは思えないタイトルですね、もっと色々考えれば良かった。見切り発車で記事を書き連ねる癖は良くないですね...昨年は激動の一年でした。リアルでもそうですが、閑話喫茶としても人が多く入って出て、多様な変化を迎える事となりました。ある時は右か左か択一を迫られ、ある時は新しい出会いへの嬉しさと寂しい別れによる感情に振り回され、ある時は運営の一人として感情と事務を切り分けて無感情的に作業をこなす、そんな色んな経験ができる一年でした。あまり一喜一憂すると周りも振り回してしまうので可能な限り感情を抑えつつも嬉しい事もあれば悲しい事もあり、コミュニティーの理想像をより深く考える機会になりました。
具現化するにあたって如何に過負荷を避け、同時に理想と現実を相互に手繰り寄せるかを何度も考えさせられる一年でした。2026年もどうぞ何卒宜しくお願い致します。新年一発目からカロリー激重な記事になります。少しだけ真面目な話を、と構想してたんですがどうも想定以上に廃カロリーになりそうです。ご挨拶は出来たので次行からは読みたい方だけで大丈夫です。自由な居場所とは非常に難しいものです。際限の無い自由は単一個体のみの存在なら成立するにしても複数個体居る空間ではどこかで相互干渉を起こします。なので自由な居場所と豪語した時、人は脳内で自動的に「一定の制限付きの」を非表示状態で常に追記して理解します。
しかしの追記部分を正しく理解しないとある個の心の中で勝手に定義された「自由」と別個体の想像する「自由」が干渉する事があり、この干渉を避ける為に人は法を定め、コミュニティーにおいては規約やルールや同意事項等様々な形で「理解の確認」を得ます。また、他責と言う言葉は原則悪い意味合いで使われますが、ウェブリオ辞典の定義から行けば「自分の過ちを」人に責任追及するとは書いておらず、あくまで他に対して責める、と書いてあります。そしてこの定義から行けば別に他責することは悪い事ではありません。自分の責任を追える部分では自責して担当外の事についてはちゃんと他を責める事自体は悪い事ではありません。
責任の分割は重要であり、また時に人は正しい他責の使い方によって過自責を避け、精神的的に自らを保てるようにすることもあるでしょう。この二つは容量用法を守って配合すれば快適性を生み出します。自らは定義された自由の中で快適に過ごし、同時に自分の管轄外の事はちゃんと自分事にせず流すことができる。しかし配合手順や用量を間違えれば劇薬になるでしょう。自らの自由を主張する癖に自分の事すら他責してしまう怪物が生まれます。しかしこの「自由」と「他責」はともかく、これに「怠惰」を混ぜると更に危険な化合物が生成されます。これは蟲毒であり、個人のみならず人の社会性そのものを崩壊させる劇薬となるのです。
元々潜在的に存在していたものが表面化したのか、それとも加速する情報化社会で必然的に醸造されてしまったのかはさておき、この三つを不用意にも配合してしまう人が時折見受けられるようになりました。僕の好きなガンダムのラウ・ル・クルーゼのセリフの一つに「正義と信じ、分からぬと逃げ、知らず、聞かず。その果ての終局だ、もはや止める術など無い」と言う言葉がありますが、昨今この言葉により重みを感じるようになりました。人が自らの信じたい事のみを信じる事はある意味人間らしさと言いますか、避けられるものでは無いと思います。しかしこれが自らに与えられた自由の元で信じたい物を信じた事でそれ以外を責め、また他を理解しようとせず怠惰で過ごす事で異次元の「無敵の人」が生成されてしまいます。
咎めれば自由の侵害だと訴え、これを避ければ向こうから自由の名の元に接近してきて、自分以外の中にある個の信ずる正しさを責め、しかし他の言う事を怠惰にも理解しようとしない。そんな人が現実に浮き彫りになって来ました。ネットの海を漂えば誰かによって記録された「怪物行為」が散見されるようになりました。執拗な粘着行為、非正規品販売、モンスタークレーミング、当たり屋行為、挙げてしまえばキリがありません。僕らは常に自由競争の名の元に常に他人と競わされているのにその上他人を引きずり降ろそうとする人が現れてしまってはより生きづらい社会になるでしょう。
サザンオールスターズの曲に「闘う戦士たちへ愛を込めて」という曲があり、これのミュージックビデオがまた過酷な現実を良く表していてカラオケとかでこの映像が流れると胸がざわつき、不安感に煽られる非常に素晴らしい曲なのですが、正にこのアニメーションで現れてる様が現実で激化してるのでは無いかと別ベクトルでも不安になります。僕らは今まで以上に自由を上手く使いこなし、他責的思考を丁寧に乗りこなし、また怠惰を自ら忌避していく事が大事になるでしょう。分かりやすい例えで行けば現在進行形の僕とも言えます。自由の名の元に新しいコミュニティーを立ち上げ、他のコミュニティーでは無かった閑話喫茶の在り方とほざいて自他を比較し、これに僕の怠惰的な本質が加わってしまえば一瞬で怪物が生まれてしまいます。
これはある意味で深い自分への戒めでもあります。僕もまた運営を担う一角として責任を持ち、常に動き続け、常に柔軟であり続けなければなりません。2025年の躍動を経て、より自らの責任を理解していく必要性に追われる事となりました。2026年は少しでも表裏一体のこの毒と薬を正しく分別できる、そんな運営を行っていきたいと誓いました。どうも思う所を可能な限り具体的に文字化しようとするあまり、また元々日本語が不得手なのも相まって駄文となってしまいましたが新年一発目の記事はこれにて終わります。次書くときはもう少し楽しい内容が書けると良いな。
今回はこの辺で。ノシ~~May Your Life Be Blessed.
~~クマ~~